2011年12月24日土曜日

シンガのハッテン場 【モーホーの出会いの場が・・・・】

私の記憶によるとモーホーはシンガポールの刑法で禁止されていたと思ったのですが、ハッテン場があって驚きましたよ!!それもビジネスの中心街に。

●ワンセブン
 http://www.oneseven.com.sg/nihongo.htm
 場所は、MOMのまん前、で有名なバクテーの店のすぐお隣です。

●シンガポールのハッテン場
 http://singapore.gaytabi.com/listing/list/c/cruising

 http://singapore.gaytabi.com/

●ハッテン場のMAP
 http://sunsun123.exblog.jp/22489212/


ハッテン場とは下記を参考にしてください。

発展場 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E5%B1%95%E5%A0%B4

発展場(はってんば)とは、男性同性愛者の出会いの場所である。カタカナでハッテン場と表現されることもある。英語圏では日本でいう発展行為のことを「Cruising」とか、豪州では「en:Gay beat」といったりする。
この項では、公共の場所における男性同性愛者の発展(行為)について記す。有料系については「有料発展場」を参照のこと。

概要[編集]

かつて、夜の公園は「アベック」と呼ばれる男女のカップルが愛を育む場所として知られていたが[1]、「発展場」はそのゲイ版であるといえる。かつては男性同性愛者にとって出会いの場は殆どなく、ゲイバーといわれる店はあっても女装男性が異性愛者に接客するバーが全国に数店舗ある程度だった[2]。そのためゲイ男性にとっては「出会いの場所」が必要とされ、自ずと発展場ができていった。発展という通称が男性同性愛者に認知される以前は、単に「公園」といったり、1960年代頃は発展トイレを「事務所」[3]と呼んだ。

語源[編集]

異性愛者の男性で、女性関係や酒場などでの交友関係が広く盛んな人を指して「発展家(はってんか)」と呼ぶが、「発展場」に使用される「発展(はってん)」の意味合いと共通点が指摘されている。ただし「発展場」という語が同性愛者たちに浸透していく年代と、この「発展家」という語が広く使用されていった年代[4]が重なるため、どちらが先に使われたかは不明である。なぜ「発展」が当てられたのかについても定かでない。
また面識のない相手と「性行為に"発展"する」「恋愛に "発展" する」が語源という説など諸説ある。
古い例ではゲイ専用ページがあった『風俗奇譚』の1963年の1月-12月号などに「全国ホモのハッテン場」という記述が確認できる[5]。その後「薔薇族」、「アドン」、「さぶ」など、1970年代に創刊されたゲイ雑誌を通じて「発展(ハッテン)場」の通称は全国の同性愛者に広まり、現在に至っているとされる。

歴史[編集]

江戸時代
江戸時代初期には陰間茶屋と呼ばれるゲイバーが既にあり[2]、同性愛男性たちが集まっていた。その為、ゲイ同士で発展行為が行われるような場所もあったのではないかとの説もあるが未検証である。
大正 - 昭和初期
発展場という言葉は使われていないが、戦前も映画館や公園などがゲイ男性の出会いの場になっていたといわれ、遅くとも大正期には発展場は存在していた[2](それより前は未検証)。一例として江戸川乱歩『一寸法師』(昭和2年)には、浅草公園に深夜屯するゲイが出てくる場面がある[2]。また戦前の一時期、上野公園に男娼が屯していたことで知られている[6]
戦後直後 - 1960年代
戦後直後から1960年代頃までは、出会いや発展の場といえば野外の公園やトイレ(事務所)、映画館の暗がりなどが中心で、東京では「男娼の森」といわれた上野公園を始め、日比谷公園信濃町駅最寄りの権田原という公園のような場所が有名だった[2]。権田原は二丁目にゲイタウンができる前頃は、都内で最も有名な発展場だった[2]。大阪では阿倍野区旭町天王寺公園の近く)が男娼の森と呼ばれた[7]。上野公園ではある夜、警視総監が見回ったら、男娼の一人に殴られたというエピソードがあり[2][8]、日比谷公園は相手を求めるゲイで夜ごと賑わい、GHQ本部(第一生命会館)に近かったこともあり、中には米軍人もいた[2]。また各地には発展できる映画館もでき始めていた。

違法性やゲイ襲撃事件多発で減少へ[編集]

夏の夜の公園やトイレ、海辺、映画館、公衆浴場、大きな鉄道駅やその近くの大型商業施設のトイレなどで発展行為が行われることがある[2]。発展場とされている公園などで、相手を求めに来ている思われるゲイ男性同士で声をかけ、互いにタイプなら合意の上で性行為に及ぶ。家やホテルに行くこともあるが、トイレや木陰などで性行為に及ぶこともある。
しかし近年は、近隣への迷惑なども考え、発展行為が行われないよう対策が講じられている場合も多い。例えば、発展が多いとされている場所では、夜間でも照明を点灯する、公衆トイレを閉鎖する、警備員の巡回を増やす、警告の張り紙を張るなどして発展行為の禁止が呼び掛けられていることがある[2]。公衆浴場は、一般的な入場規則として「他のお客様のご迷惑になる行為」を禁止している場合が多く、公然わいせつ行為を行わないとしても強制退店になったり、悪質な場合刑事罰の対象となることがある。一部の異性愛者向け公衆浴場は、店員がやらせでゲイに近づき、わざと手を出させて追い出しているところもある[9]
下節で触れる発展場でゲイを襲撃した事件が相次いでいることや、室内発展場の増加、インターネットなどの出会いツールの普及などで出会いが比較的容易になったこともあり、野外や公共の場での発展行為は減少傾向にある[10]。またゲイ狩りが相次いだこともあり、近年のゲイ雑誌は野外や公共の場における発展行為をしないように、呼びかけることもある。

ゲイ・バッシング[編集]

発展場に集まるゲイが強盗事件の餌食になったり、ゲイを狙った暴力事件もしばしば起きている。例えば、発展場として知られている公園へ来る男性が、露出度の高い格好をするなど、特に見分けがつくような身なりでもないのに、手当たり次第に少年グループに襲撃され現金を奪われるといった「ゲイ狩り」事件や、撲殺による殺人事件も起きている[11]。過去にあった「芦花公園」で男性同性愛者が太ももをナイフで刺され殺害された殺人事件[12]は、犯人が逮捕され一応の解決を見たが、強盗殺人より罪状の軽い暴走

族同士の抗争における「人違い殺人」として処理された。

こうした事件に男性同性愛者―或いは同性愛者ではない通りすがりの男性―が遭遇することは、過去に「アベック」と呼ばれた男女のカップルが、夜の公園などで強盗事件や殺人事件の被害者となったことと似た現象だといえる[1]。

そうした発展場を巡る経緯から、近年は公共の場所での発展行為は減少傾向にあるといわれ、各GLBT団体などは自分の身を守るため、公共の場での発展行為を自制するように呼びかけている。
出典[編集]
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^ a b 「上野の森 夜の生態男と女」『探訪読物』(1949/6/1)、「上野の森の11年目 アベックの殿堂?文化の殿堂?」『週刊サンケイ』(1959/7/5)、「上野の森の昼も夜も 禁じられた犯罪・情事のメッカ」『週刊サンケイ』(1960/11/21)。
^ a b c d e f g h i j 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)
^ 三島由紀夫『禁色』(1951年)、『週刊現代』1968/10/31、『オトコノコのためのボーイフレンド』(少年社・発売雪淫社,1986,ゲイボキャブラリー)など。
^ 日本映画『社長三代記』(1958年)に「女性方面にご発展で」という台詞がある。
^ 「風俗奇譚」(1963年12月号)「全国ホモのハッテン場:週刊誌に紹介された横浜の事務所」など。
^ 「同性愛と同性心中の研究」(1985年.小峰研究所.小峰茂之・南孝夫共著)「同性愛の一類型(男娼)について:戦前の一時期上野公園に屯した男娼群の観察を通して」
^ 『都会ロマン』「旭町の男娼・大阪男娼の森を訪ねて」(平尾伸吉、1949年)。
^ この他、上野に限らず、男娼が米兵から強奪被害に遭うとか(読売新聞「米兵 男娼から強奪」1953年7月2日)、16歳の少年に男娼が殺される(読売新聞「十六少年の凶刃 "夜の男"を殺して高校生自首」1951年1月6日)とか、米兵が男娼に切り付けられる(「米軍属 男娼に切らる」読売新聞1953年11月12日)といったことも起きていた。
^ Badi1997年4月号「WALKIN Badi 26 名古屋PART2」。
^ 「薔薇族」2001年2月号。
^ 新木場・夢の島緑道公園で33才男性が複数の少年らに殺害される
^ 東京・世田谷区芦花公園で男性が襲われ死亡

2011年12月23日金曜日

著作権料払わず生演奏ダメ…楽器の使用差し止め

ホント、司法もクソだな。もっと他にやることがあるだろうと。それよりも、もっと注目しなきゃいけないことが、JASRACの尻に火がついたことだと思います。音楽市場のジリ貧ぶりは、歌手がカスになって、You tubeなどのインターネットの普及とデジタル技術の普及によって一般人がほぼタダのコストで音楽を手に入れることができるようになったことがあるんじゃないかと思っています。いままでは、口を空けているだけで、お金がドボドボ流れてきましたが、予想以上にすさまじい市場縮小で、なりふり構わぬ手段に出てきたって感じがしますね。

さらに、見逃してはいけないことは、10年ほど前には、受益者がタダで入手できて「CD買うの馬鹿くせーよな」と言う風潮ができてしまい、それがどんどん拡大してきました。そして、それがスパイラルで、曲を作る側にお金が入らなくなり、コストを削減するようになって、クソみたいな曲ばっかになってしまいました。

お金はまわりまわるもので、音楽市場の激減だけでなく、様々な分野も同時に、市場が縮小・・・・・。枝葉末節の議論だと思っていたものが、実は複雑に繋がりあっていて、すべてが同じロジックで、密接に繋がっていたとは、最近気づきました。みんな繋がっているんだなーと。

若者が貧乏になるだけでなく、日本国民が貧乏になったのも、原因は探していくと、たった一つなんですね。デジタルは、「ゼロと1」ですべてを表現します。そう、アナログ的な中間がないんですよね。「オンかオフ」しかないと。メリハリがあっていいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、究極的には、超大金持ちと超貧乏の二極化がものすごい勢いで進んでいるわけですね。世界はみんな繋がっていますし、今は、ホントお金が簡単に国境を越えちゃいますし、お金の奴隷になった人は、道徳心をなくしちゃう人が結構多いですからね。

新興国で中間層がこれからどんどん伸びると言われていますが、貨幣経済、極度に進行した資本主義は、あっという間に中間層をなくしてしまうと思っています。


●著作権料払わず生演奏ダメ…楽器の使用差し止め
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111223-OYT1T00153.htm

日本音楽著作権協会(JASRAC)は22日、著作権使用料を支払わずに、同協会が管理するエルビス・プレスリーなどの曲をバンドで生演奏して営業しているとして、京都・祇園のライブハウスに対し、演奏禁止や同店が所有する楽器の使用差し止めの仮処分を京都地裁に申し立て、認められたと発表した。

 同地裁は同日、使用差し止めの仮処分を執行、ギターやドラムなどの楽器約20点を使用禁止にした。

 同協会によると、記録が残る1996年度以降、音楽作品の著作権侵害を巡り、機材などの使用を差し止める仮処分の執行は、生演奏形態の店は実態が把握しにくいこともあり、全国で21件(うち近畿地方は6件)にとどまっている。一方、スナックなどのカラオケ使用店は540件に上る。

(2011年12月23日14時41分 読売新聞)

2011年12月22日木曜日

人口動態から見る世界と食料・エネルギー問題 【100億を養えるんでしょうか?】

今の規模の経済でも地球が三ついるぐらいの資源が必要だといいますが、これが倍になったらどういうことになるんでしょうか?当然、今でもエネルギーが足りなりぐらいですから、100億人だったら足りるわけありません。農業革命やエネルギー革命でも起きれば話は別ですが、世界で100億の人たちが先進国並みの生活も既存のシステムのままではできるわけありません。

いままでずっと搾取され続けてきた中進国、発展途上国がすごい勢いで伸びているわけですが、まずは資源の問題ですね。それから先進国は、少子高齢化がすごい勢いで進んでいるわけですが、日本のような超高齢社会を迎えた国が世界中にゴロゴロでてくるようなことになると思います。

2011年12月20日火曜日

スカイツリーと結界 【東京は実は風水都市だった】

スカイツリーが結界を破ったなんて、面白い見方があるもんだなーと思いました。確かに、このレイラインや平将門の結界、江戸を作る時の考え方として取り込まれたような気がします。シンガポールや香港も風水だらけですしね。

東京は風水都市といい、色んなところでレイラインと言える、ラインが引けると聞いておりますが、平将門の北斗七星張りの結界が切れることによって、何かがおこるんでは?と言われています。シンガポールに住んでいて、やっぱり風水の事って気になっちゃいます。帝都物語って本がありましたが、ホント、風水ってむちゃくちゃ東京のなかに取り入れられてるんだなーと思いますよ。

山の手線が政府側の結界という説や、中央線は富士山からの霊気を武蔵稜墓地(天皇家のお墓)を経由して、皇居に良い気をもってくるという説もありんす。鉄は、霊気が宿る反面、霊気を退ける力があるとされているらしいです。あとは、上野の西郷さんの銅像が連れている犬と渋谷のハチ公は、狛犬の代わりになってるとか、色々都市伝説系のネタがあります。個人的に驚いたのは、山手線と中央線を図形化すると太極図になることです。そして、皇居にそのパワーが集まっているのではないかということでとても納得してしまいました。山手線なんかは一日何百周もして、それこそ何百万人も利用しているわけですからその力が集まったとしたらすごいことになりますね。

江戸を襲った明暦の大火、明和の大火、文化の大火、大政奉還、関東大震災、東京大空襲は、結界が破られた時に起こったといわれてますけど、東京タワー(裏鬼門の方角)とスカイツリー(表鬼門の方角)を結ぶラインが、築地本願寺をぶったぎって、明治政府の結界が破られるそーです。これは、「帝都物語」という本でも話題になったみたいですね。

「太極図 山手線 中央線」の画像検索結果


まぁ、中央構造線の上に、著名な神社があったりするのも、わかりますが、レイライン、興味ありますわ。


●風水都市・東京が危ない(3) 平将門の結界
 http://sky.ap.teacup.com/c_hitorigoto/1388.html

●レイラインハンティング
 http://www.ley-line.net/index.html
 ↑これは、かなり読み応えがあります。
  偶然にしてはありえないぐらい、一致しています。

●東京の結界
 http://blog.goo.ne.jp/naosuke26_1978/e/bcfe18b47793a42a6bff7a799aed69c1

●怪しい話
 http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old14/aya310.html
 http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old/aya29.html


2011年12月19日月曜日

じょんいるが逝く【映画オタク、一人用マスゲーム?】

じょんいるが逝ったようですね。まさに脂肪で死亡とでも言ったところでしょうか。本当にフォワグラとか食べ過ぎて、自分の肝臓がフォラグラになっていたぐらいでしょうから、いろんな合併症で体はボロボロだったと思います。

2月16日といえば、きむじょんいるの誕生日ですが、本当にてぽどんを飛ばしたりして、じょんいるの誕生日を祝っていたようですが、スタジアムとかいっぱいになってマスゲームをしていることも印象に残っています。まぁ、私は一人の用のマスゲームを大人用のDvdをみてやってますけど・・・・・。

さーて、以前は後継者といわれていた金正男、ホント愛嬌のある男で、マカオでカジノをしていて、声をかけると手を振り返してくれたそうな。英語、韓国語、中国語、日本語、フランス語など堪能だということです。で、なぜ、日本語が堪能なのかがわかったかというと「日本語話せますか?」というマスコミの問いに、「ハナセマセン」と即座に答えたことから、バレてしまったということです。非常に愛嬌があるなーと。

それよりも、韓国の有名人って、マイクロソフトのMS-IMEで一発で変換できるのを知ってもっと驚きました。マイクロソフトもやるなーと。「きむじょんいる」が一発で「金正日に」そして、金日成や盧泰愚なども一発で変換できます。

ちなみにこんなブログがあり驚きました。


●マイクロソフトIME(日本語変換)の陰謀

 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=997393



2011年12月18日日曜日

時代が変わった 【情報革命と技術革新等による時代の変化】

21世紀になって世の中が大きく変わった。潮目が変わった程度のものではなく、私たちの既存の概念をも変えてしまった。世界ナンバー2であった日本経済が20年にも及ぶデフレに叩きのめされ、阪神大震災というバブル後の震災を乗り越えた日本であったが、今度の東日本大震災は、地震の被害だけでなく、津波、原発という今まで直面した事の無いような日本の危機である。 

我々は、様々な面で大きな曲がり角に差し掛かっている。今までのような、右肩上がりの成長モデル、雁行型の経済発展モデルでは到底乗り越える事の出来ない問題が山積しているのは事実である。変化として何が一番大きかったかというと、愚民政策と貧民政策、搾取を続けてきたモデルが行き詰っているという事だ。欧米の先進国にしても、日本にしても、今までの経済発展モデルは、安い材料を輸入して、それを加工したりして付加価値をつけてきたビジネスモデルであったが、それが単純にできなくなってしまった。また、搾取されてきた側が力をつけると同時に、資源メジャーの台頭のように寡占・独占によって価格がほぼ言い値になってしまった。資源という括りでみると鉄鉱石や石炭は完全に3社の私企業(BHPビリトンやヴァーレ、リオティント)によって牛耳られてしまい、石油や天然ガスなども数国のプレーヤーに牛耳られている状態である。また、食物もアメリカの種苗メーカーのモンサントやカーギル、AMDのような穀物メジャーによって牛耳られている。 

一方で、今まで情報を与えられなかった一般庶民は、インターネットや携帯電話によって、瞬時に情報を得られるだけでなく、世界中から情報を得られる時代になった。場合によっては、タダに近いコストで情報が得られるようになり、それがエジプトの革命などの原動力になった。いま、北アフリカや中東で起こっている一連の出来事は、情報革命が起した変化と言っていいだろう。これが世界中に伝播するのはもはや時間の問題である。情報統制によって抑えることができるのももはや限界と言っても良いだろう。「ヒト・モノ・カネ」が国境をいとも簡単に超えるなかで、情報はもっともっと簡単に国境を越えている。 

成功体験というのは自身をつけるのには良い実績である。しかし、この成功体験があること、さらには実績が大きければ大きいほど世の中の変化に取り残される。いま、時代は大きく変わっている。めまぐるしく変わっている。今までにないスピードで変わっている。 

正直言って、世界の経済情勢や気象変動、各種統計を見ると今の段階では今後の我々が直面する現実はもっともっと厳しくなると言って良いだろう。しかし、農業革命がおき、産業革命がおきたように、エネルギー革命が起これば多くの問題の多くは解決できてしまう。一次産品である、エネルギーが石炭から石油に置き換わったようなことがごく短時間のうちに起こってしまえば、世の中は大きく変わると言っていいだろう。それが解決できれば、食糧の問題の多くも解決できる目処がたつといっていい。 

私は、自分が様々なシステムが変わる端境期に生まれ、大きな変化を目の前で見て、それに振り回されてきた。しかし、それは、逆に捉えれば大きなチャンスである。戦後の混乱期に日本の一流企業と言われる会社の多くが黄金時代を築いた。ソニーやホンダなど、今の時代であれば、生まれていなかっただろう。今後、私が注目するのは先にも述べたエネルギーと食糧である。5年、10年以内にある程度の正解は出ると思っているし、方向性は導き出されると思っている。