個人的には両者、私の好きなタイプなんですよね。特に、この川本氏、国税や検察と大喧嘩をしたっていうのだからその根性に驚きます。バブルの紳士がことごとく消えてなくなっているなか、同社は借金が嫌いで、それで今でも生き残っているそうな。クレジットカードも大嫌いで、何でも現金で決済をしているというから驚きます。
一時期は、丸源のビルも腐るほどテナントが入っていたようですが、今では老朽化して、銀座の一等地にあるにもかかわらず、入り口が閉鎖されているところも目立ち、同社の今後が気になります。
●川本源司郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9C%AC%E6%BA%90%E5%8F%B8%E9%83%8E
川本 源司郎(かわもと げんしろう、昭和7年(1932年)[1] - )は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有する。日本の億万長者の1人として知られる[2]。
目次 [非表示]
1 人物
2 丸源ビル
3 ハワイでの事業
4 映画
5 家族・親族
5.1 川本家
6 参照
7 関連項目
8 出典
人物[編集]
1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた[3][4]。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった[5]。
地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。慶応大学を中退し家業を継ぐ[4]。もうけの大半を不動産に投資[4]。高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げ、貸しビル業に乗り出す[4]。
呉服屋を廃業後、1960年に飲食ビル賃貸業に転じる[3]。家具付きで飲食店を貸し出す手法が人気を博し、事業は順調に伸び、福岡の中洲に進出する[3]。
1972年には東京へ進出する[3]。2年後の1974年には、当時は飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建設[3]。1980年には銀座に8棟のビルを所有するまでになった[3]。丸の中に「源」という赤いネオンは、夜の銀座の象徴にすらなった[3]。バブル期には、銀座をはじめ赤坂、六本木、福岡の中洲などに計60棟ほどの飲食テナントビルを所有、約5,900のテナントが入居していた[3]。
バブル期の総資産は1,000億円を優に超え、資産家として雑誌に度々登場[3]。映画『地平線』(新藤兼人監督)の制作に際し8億円をキャッシュで出した[3]。徹底した現金主義者としてしられ借金もゼロ、クレジットカードすら持たず現金でできる範囲のことをやっていたために、バブル崩壊期もほぼ無傷で乗り切った。バブルも川本は異常な状態と認識し、競うように不動産に投資を行っていた銀行も信用せずに自らの目で物件を選んだ。こうした川本の冷徹な一面を虚無主義者と評する者もいた[5]。
自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていた。また、7年前にハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせたり建物を管理せず放置して近隣住民とのトラブルになった。金銭に執着しない一面、税金の支払いには極度に消極的な姿勢を見せ「節税をしない経営者はバカ。無駄な税金を支払う必要はない」と公言。節税対策には細心の注意を払った[5]。
丸源ビル[編集]
スナックやクラブなどが多数入居するビル(ソシアルビル)が中心である。ビルには番号が付いており、例えば「丸源29ビル」のように表記される。ちなみに、1番は福岡県北九州市小倉北区京町にあったが、小倉駅前東地区第一種市街地再開発事業によるセントシティ北九州ビル(現在、コレットが入居)建設に伴い解体された。
また、売却されたビル[6]や、売却後解体されたビル[7]もある。
川本は不動産の管理に特定の会社を設けず、丸源興産、みなもと興産、丸源、丸源商事、東京商事など自身が代表を務める会社の設立と精算を繰り返してきた。
2013年3月4日、会社の所得約28億円を隠し、約8億円を脱税したとして、東京地検特捜部に法人税法違反容疑で、5日に社長に対する強制捜査された。[8]翌5日法人税法違反で逮捕された。
ハワイでの事業[編集]
1987年、ハワイカイの高級住宅176件を買収、1988年、ヘンリー・カイザーの邸宅をアメリカの個人住宅としては当時最高額の4255万ドルで買収。
詳細は「ハワイの歴史#アメリカ合衆国ハワイ州」を参照
2013年2月、ハワイの高級住宅街カハラに所有する不動産27戸のリフォームを巡り近隣住民とトラブルを起こしている[9]。
映画[編集]
芸術関係にも造詣が深く、さまざまな映画の企画なども手がけた。
食卓のない家 - スタッフ(製作)。監督:小林正樹。
鹿鳴館 - スタッフ(製作)。監督:市川崑。丸源が製作、数億円を投じて再現された鹿鳴館の豪華セット、セリフを舞台風に読ませた大胆な演出などで話題になったが、現在権利上の問題で封印されている。
地平線 - スタッフ(製作)。監督:新藤兼人。
家族・親族[編集]
川本家[編集]
2013年現在、川本は独身で、後継者も育ててこなかった[10]。
周囲には「僕が死ねば資産は国に接収されて丸源は終わり。それでいい」と漏らしていたという[10]。ある知人男性は「あれだけの成功者なら、たいこ持ちのような人間を周囲に集めたり、若く美人な妻などを欲しいと思うもの[10]。しかし彼はそうしたものに興味がない[10]」と明かした。
あるとき、商売仲間が“結婚しない理由”を問いただすと、川本はこう答えていたという[11]。「子供ができて変なことされても困るからな[11]。この商売をやるのは俺1人でいいんだ[11]。」
川本 源司郎(かわもと げんしろう、昭和7年(1932年)[1] - )は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有する。日本の億万長者の1人として知られる[2]。
目次 [非表示]
1 人物
2 丸源ビル
3 ハワイでの事業
4 映画
5 家族・親族
5.1 川本家
6 参照
7 関連項目
8 出典
人物[編集]
1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた[3][4]。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった[5]。
地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。慶応大学を中退し家業を継ぐ[4]。もうけの大半を不動産に投資[4]。高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げ、貸しビル業に乗り出す[4]。
呉服屋を廃業後、1960年に飲食ビル賃貸業に転じる[3]。家具付きで飲食店を貸し出す手法が人気を博し、事業は順調に伸び、福岡の中洲に進出する[3]。
1972年には東京へ進出する[3]。2年後の1974年には、当時は飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建設[3]。1980年には銀座に8棟のビルを所有するまでになった[3]。丸の中に「源」という赤いネオンは、夜の銀座の象徴にすらなった[3]。バブル期には、銀座をはじめ赤坂、六本木、福岡の中洲などに計60棟ほどの飲食テナントビルを所有、約5,900のテナントが入居していた[3]。
バブル期の総資産は1,000億円を優に超え、資産家として雑誌に度々登場[3]。映画『地平線』(新藤兼人監督)の制作に際し8億円をキャッシュで出した[3]。徹底した現金主義者としてしられ借金もゼロ、クレジットカードすら持たず現金でできる範囲のことをやっていたために、バブル崩壊期もほぼ無傷で乗り切った。バブルも川本は異常な状態と認識し、競うように不動産に投資を行っていた銀行も信用せずに自らの目で物件を選んだ。こうした川本の冷徹な一面を虚無主義者と評する者もいた[5]。
自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていた。また、7年前にハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせたり建物を管理せず放置して近隣住民とのトラブルになった。金銭に執着しない一面、税金の支払いには極度に消極的な姿勢を見せ「節税をしない経営者はバカ。無駄な税金を支払う必要はない」と公言。節税対策には細心の注意を払った[5]。
丸源ビル[編集]
スナックやクラブなどが多数入居するビル(ソシアルビル)が中心である。ビルには番号が付いており、例えば「丸源29ビル」のように表記される。ちなみに、1番は福岡県北九州市小倉北区京町にあったが、小倉駅前東地区第一種市街地再開発事業によるセントシティ北九州ビル(現在、コレットが入居)建設に伴い解体された。
また、売却されたビル[6]や、売却後解体されたビル[7]もある。
川本は不動産の管理に特定の会社を設けず、丸源興産、みなもと興産、丸源、丸源商事、東京商事など自身が代表を務める会社の設立と精算を繰り返してきた。
2013年3月4日、会社の所得約28億円を隠し、約8億円を脱税したとして、東京地検特捜部に法人税法違反容疑で、5日に社長に対する強制捜査された。[8]翌5日法人税法違反で逮捕された。
ハワイでの事業[編集]
1987年、ハワイカイの高級住宅176件を買収、1988年、ヘンリー・カイザーの邸宅をアメリカの個人住宅としては当時最高額の4255万ドルで買収。
詳細は「ハワイの歴史#アメリカ合衆国ハワイ州」を参照
2013年2月、ハワイの高級住宅街カハラに所有する不動産27戸のリフォームを巡り近隣住民とトラブルを起こしている[9]。
映画[編集]
芸術関係にも造詣が深く、さまざまな映画の企画なども手がけた。
食卓のない家 - スタッフ(製作)。監督:小林正樹。
鹿鳴館 - スタッフ(製作)。監督:市川崑。丸源が製作、数億円を投じて再現された鹿鳴館の豪華セット、セリフを舞台風に読ませた大胆な演出などで話題になったが、現在権利上の問題で封印されている。
地平線 - スタッフ(製作)。監督:新藤兼人。
家族・親族[編集]
川本家[編集]
2013年現在、川本は独身で、後継者も育ててこなかった[10]。
周囲には「僕が死ねば資産は国に接収されて丸源は終わり。それでいい」と漏らしていたという[10]。ある知人男性は「あれだけの成功者なら、たいこ持ちのような人間を周囲に集めたり、若く美人な妻などを欲しいと思うもの[10]。しかし彼はそうしたものに興味がない[10]」と明かした。
あるとき、商売仲間が“結婚しない理由”を問いただすと、川本はこう答えていたという[11]。「子供ができて変なことされても困るからな[11]。この商売をやるのは俺1人でいいんだ[11]。」
http://www.akudaikan.com/2011/12/blog-post_30.html
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