2012年5月21日月曜日

シンガポールで活躍する三菱地所のアジア戦略【丸の内からの脱却】

私は三菱地所の株主であったこともあり、株主総会にはちょくちょく参加していました。当時は、古い丸ビルの地下が総会の会場だったなーと、たまに思い出します。そして、私が今でもはっきり覚えているのは、長身で白髪の福澤武社長です。株主総会の議長で「お諮りいたします」と淡々と議事を進めていた姿が印象的でした。暇だった私は、議事よりも、総会の後に貰える、三菱地所の傘下にあるロイヤルパークホテルのお土産しか興味がありませんでしたが・・・・、その意味で、この会社は結構私には貢献してくれましたよw

私が三菱地所を保有していたのは、三井不動産、三菱地所、住友不動産と財閥系の大手デベロッパーの中では、含み益が極めて多いということもありましたが、「丸の内」経済学―この街が21世紀の東京を牽引するという福澤武氏の著書を読んでからです。電鉄会社も含め、不動産会社の開発は、、「便利な場所なら、暖簾が無くとも乗客は集まるはず」という言葉で有名な阪急の小林一三などが有名ですが、東急や小田急、西武、東武などの鉄道会社の沿線開発も忘れてはいけません。基本は、インフラを牛耳っている鉄道会社に主導権があり、これがまさに日本的な開発の原点にあったわけですからね。そうは言っても、個人的には、ハワードの田園都市構想が近現代都市計画には息づいているんじゃないかなーと思います。私は、鉄道会社が旗振り役となった開発にも興味がありましたが、やはり既存の街の再開発ということで、丸の内の大家としての三菱地所と六本木の再開発で成功を収めた森ビルに興味がありました。

どうして三菱地所なのかと聞かれると、動機として大きかったのは、三菱村と揶揄される、丸の内で働いていたことも理由としてありました。その当時は旧態依然としたビルが多く、皇居を見下ろしてはいけないという紳士協定なのか、高さは31mで階数もそれに相当する8階に制限されていたビル郡が周りを取り囲み、ビルの内部は異様に太い柱が邪魔で本当に執務スペースも本当にとても窮屈なものでした。その後は、同一エリア内での容積率の移転など様々なスキームが認められ、建ぺい率や容積率の緩和によって開発が緒についた訳ですが、やはり、福沢氏の構想で一気に丸の内の再開発計画・ビルの立替計画が進んだと言っても過言ではないと思います。本当に建て替えには膨大な資金が必要だったわけですからね。

デベロッパーで一番アグレッシブだと思っていたのは、個人的には三井不動産ですね。理由は、京成電鉄と組んで浦安を埋め立てて、住宅地やディズニーランドを作り、その後もららぽーとなどのランドマーク的な商業施設を作っていた三井不動産の積極さには他社の追随を許さないところもありました。しかし、私は、横浜のみなとみらいにある旧三菱重工の造船所の跡地の開発計画より後は、横浜ランドマークタワーと言うくらいですから、ホント目印としての機能を果たし、財閥系デベロッパーの双璧でもあり、三菱の御三家にははいりませんが、グループの底力を見たような気がします。その前には、アメリカのニューヨークにあるロックフェラーセンターで巨額損失をぶっこいていますが、その後の復活は目を見張るものがあるなーと思いましたよ。ホント、それぐらいの損失で屋台骨が揺らぐような会社じゃないですからね。ランドマークタワーの建設費は3000億円近くで、大株主の大成建設が旗振り役となった訳ですが、今見ても色あせないなーと。あとは、超高層のはしがけではありませんが、池袋のサンシャイン60も忘れてはいけないなと。

それよりも日本経済新聞の一番裏にある「私の履歴書」に福澤武の回顧録というか自叙伝が書かれていたんですが、それを見て驚きましたね。何といっても、結核で6年送れて入社と言う、財閥系ではあり得ない採用をしていたからです。福沢諭吉のひ孫と言うこともあり、慶応の幼稚舎は出ていたものの、中学と高校は行っておらず、大検をとって慶應義塾大学法学部に入学をしたという・・・・。当時は体が弱く、運動もできなかったので、勉強ばかりしていて成績は良かったと書いてありましたが・・・・・・驚きですよ。

ホント、私は古河総合ビルの一階にあった丸の内カフェ(その後は東商のお隣に)が結構お気に入りだったんですが、三菱商事の傘下に入ったコンビニのローソンが店を出したり、ワインショップのエノテカができたり、著名シェフのミクニさんがレストランを出したりして、街の雰囲気は一気に変わりましたね。古臭いオフィス街がここまで変わるのかと思ったくらいです。あと、街づくりでは、イオンに吸収されましたがショッピングモールの開発で有名なダイヤモンドシティですね。この会社は、確か、三菱地所の子会社だったと記憶しています。製造業のリストラブームで、工場の跡地などに巨大なショッピングモールを誕生させた先駆けのような気がしたと・・・・・。それにしても、丸の内は土日は全く活気のない街だったものが、ブランド店などの誘致で一気に華のある街に変わったなーと。

そんな、過去の三菱地所の戦略を見てみると、東南アジアへの展開は、大手不動産会社の中では、三井不動産や東急不動産に遅れていたと言うイメージがありましたが、ここ最近はとてもアグレッシブですので、何かやってくれるんじゃないかと思うほどです。ちなみに、二人三脚のパートナーとして、シンガポールの不動産会社の双璧であるケッペルとキャピタランドのうち、後者のキャピタランドをビジネスパートナーとして選択していますが、東南アジア諸国にアホみたいに投資をしているので、今後の活躍が楽しみです。

ビジネスとしては、キャピタランドの傘下にある上場REIT であるキャピタコマーシャル・トラストとの共同事業で、ビジネスの中心地であるラッフルズプレイスに「Market Street Office Tower」というビルを建設していますし、郊外のMRTのインターチェンジであるビシャンの駅のまん前にも、ビシャンセントラルといってコンドミニアムの建設を行っています。ちなみに、ベトナムでもキャピタランドと二人三脚で事業を行っているとの事ですから、まだまだ伸びしろのある東南アジア地区での開発への勢いは当分は止まらないだろうなと。もともとグループの総合力ではナンバーワンであるだけに、アジアの時代のこれからの台風の目として、三菱地所の活躍に注目したいですね。


●キャピタランドのHP
http://www.capitaland.co.jp/en/news/news.html

●三菱地所のHP
http://www.mec.co.jp/

●【企業特集】三菱地所丸の内頼りから脱却できるか成長託す“丸の外”戦略の成否
http://diamond.jp/articles/-/9008
10年3月期の賃貸用不動産の含み益が2兆0559億円というのは、簿価が数円程度で、時価との差額がほぼほぼ利益になると受け止めています。おそらく、含み益も会計の原則に則り、保守的に計上されているでしょうから、おそらく、3兆円はいくのではないかなと個人的には思っています。

●「丸の内」経済学―この街が21世紀の東京を牽引する 福澤 武著
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E4%B8%B8%E3%81%AE%E5%86%85%E3%80%8D%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E2%80%95%E3%81%93%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%8C21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%92%E7%89%BD%E5%BC%95%E3%81%99%E3%82%8B-%E7%A6%8F%E6%B2%A2-%E6%AD%A6/dp/4569613640

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